2019-09-26

たぶん

うまく行っている、何も問題ない。 そう感じさせるように振る舞うように暗黙の示し合わせがある。 でも本当はそうは思ってない。 その示し合わせの場所から一歩出ると、また考え始める。 本音や確信のところでは、混沌とした感情があって語り始める。

二つの意味の子ども

まず一つは、幼い人としての子ども もう一つは、インナーチャイルドという意味の子ども

大人になっても、自分の中の子ども心はコンピュータで例えるところのBIOSの様だと考えています。 その上で大人の考えとしてのOSが動くイメージがあります。

BIOS(Basic Input/Output System)というのは、ハードディスクやメモリCPUなどのハードウェアの面倒を見てくれるプログラムです。 このBIOSがいるから、OS(Operating System)例えばWindowsとかが動きます。

ここではBIOSが五感や好き嫌いの感覚を感じて、その上でOSで操作できることが広がる。

そして、どこまでも理解してること。 子どもにどこまで楽しく知識やスキルを示せるか。教えられるか。

文字通り、子どもを体だけ成長させることはできそうだ。 この日本にいて、食料が経済的理由で大量生産されて売れ残ったものは捨てるほどある。 だったら何かしら食べさせて生きながらえさせて時間を経過させるために、食料と最低限のお金を工面するぐらいはできる。

ただ、それを本当にしたいのか? いいや、そんなはずない。

私は精神や心の豊かさについて、焼き切れんばかりに考えている。