新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて

tell value - 価値を伝える

安冨歩さんの著書 ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛
を読んだのがきっかけです。

これはとてつもなく刺さる良書。
さっくり読んで本の感想書こうと思って読み始めたら、止まらない。
やっとたどり着いた。
ずっと疎外感というか、不信感というか、虚無感みたいなものの一部に触れられた。

P62〜63 引用以下
讃嘆が愛を意味するという悲劇的な幻想から、華々しい人が療法なしでは抜け出すことはほとんど不可能です。
自分の一生を完全にこの愛の代用品に捧げてしまう人も少なくありません。

かつて幼かったころ、認めてもらいたい、理解してもらいたい、まともにとってもらいたいと求めていた子供の真の欲求が理解され、
意識した上で体験されうるようにならない限り、愛の象徴をめぐるたたかいは続きます。

ある女の患者さんはあるとき、まるで自分は今まで竹馬に乗って走っていたような気がすると言いました。
竹馬に乗って走り続けている人は、自分の脚で走れる人のことを、うらやましく感じるようになりはしないものでしょうか。

たしかに自分の脚で歩く人は背も低く、「あたり前」にしか見えませんが、そして、竹馬に乗りつづけている人は、
自分が竹馬なしでは歩くこともできなくなるように仕向けた人に対して、溜まりに溜まった憤りを抱えているのではないでしょうか。

いつでも健康な人は嫉視されるものですが、それは、健康な人は讃嘆してもらうために休む間もなく努力を続けたりせず、
何とかして目立たなければともせず、落ち着いて自分のあるがままにいられるからです。

華々しい人というものは、決して本当に自由ではありえません。いつでも他人の讃嘆が必要なのですから、それに、
他人の讃嘆というのは、人の特性、役割、業績に結びついており、そんなものはいつ突然崩壊するかわかりません。

引用終わり

あ〜終わりだ終わり。
終わり、自愛だ自愛。

続き

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代
アダム グラント (著), 楠木 建 (監訳)

この本で紹介されている、二つのGIVERのタイプがあります。
一つはテイカーやマッチャーよりもはるかに貢献しているギバー。
もう一つはテイカーやマッチャーにいいように使われてしまう自己犠牲的ギバー。

私は後者の自己犠牲的なギバーの例によく当てはまっていて、ちょっと悔しかったです。
それで、”才能ある子のドラマ―真の自己を求めて”を読んで気づきました。

やっぱり自己犠牲的にでも成果を上げて認められたいと、どこかしら行動する上で前提にそういう欲求があると
自分を大切にしていいんだって気持ちさえも忘れてやってしまえるのが、危ういなと読んでいて自分で感じました。

もし自分が生きていて、なんか空虚感があるなぁ、おかしいなぁと感じている人はぜひ一読してほしい一冊です。