書き手の態度

書き手として書きやすい態度は?

専門家のような固い態度

知っていることは教えられない。
スマホでフリック入力が無意識にできる人は、フリック入力が「できる」と知っているが、同時にそれを忘れている。

権威による説得
残念ながら、ある程度コミュニティになれている人は、ヒエラルキーのような上から下への権威による説得になれている。
しかし、ネットで検索される時に、わざわざ権威的に説得されることを望んでいないはずだと推測している。

なぜならネット上ではフラットなコミュニケーションの中で、自分の欲しい情報を快く教えてくれる人のほうが気楽だからだ。

わざわざネット上に堅苦しい上下関係を求めて検索をしようとする人はいない。

権威を使って説得しようとすると責任がある。
盲目的に説得を聞く人は責任を精査しない。
ダメだったら教えてくれた人のせいにする。

それは理念や理想がないから、教わる方も投げやりなんだ。

思索家のような無知の態度

not knowingの姿勢
知らないから、興味がある、教えて欲しい、知りたい。
そういう態度の時に、無知であることが経験ある状態よりも有利に働く。
なぜなら、知らないと知っているからだ。

言葉にしようとする時に、当たり前すぎて言葉にできないこと、見えなくなっていることは多い。
先ほどのフリック入力の例のように、当たり前にできることはそれを言葉にして教えるのは難しい。

なぜならできている人は、どうやってそれを習得したかを忘れているから。
ある意味熟達とは、「できないことを忘れてしまうこと」とも言い換えられる。

こうしたい、こうやりたいと願いながら、修正を繰り返していく。
知りたい興味、できる様になりたいと望む姿勢、そこに必ず感情が湧き出てくる。
昨日はゆで卵を作って狙った以上に黄身が固い仕上がりになったけど、今日やったら自分が好きな半熟の黄身にできたぞ!

一回やってみて、できたはできたけど、予想とちょっと違った、次は時間を短くやればきっと想像した様になるはずだ!
そういう感覚、感情を通して次へのモチベーション(動機)、問いすらも更新される。

教えようとする時に、相手を想像する。
しかし、教える相手すら自分が設定するキャラクターだ。
なぜなら、情報すらフィクションが祖先、親クラスだから。

問いと調査、試行、フィードバック
そしてまた洗練された問いが生まれる。

これは物語になる。
無知から始める時に、読者は書き手の成長を見守ってくれる友達になる。
まだ名前も知らない友達になる。

無知だからこそ、知らないことを言葉にできる。
できないことに人間らしい感情がこもる。
それが生々しいフィクションになる。
読者は共感しながら応援して読んでくれる、支えてくれる。

それが、成長であり、分散的に依存し、自立することなのかもしれない。

クエスト

知らないことに興味を持ち、疑問を持ち調べる。
そして自分らしい納得できる問いと答えを紡ぐ。
これがクエストだと思う。
答えを見つけるんじゃない、答えすら個人のバイアスがかかって偏光して見えている。

だから問いも答えも個性というフィルターを通して認識しているはずだ。

初心者
レポート

masaki
2019-10-16 02:42:22